突然だったから。 [日記]
まだ一週間余り、、、仕方ないのかもしれないが、喪失感がかなり来ている。
事情があり、娘の年齢分、会うことが出来なかった。
娘が一歳になる頃だったろうか、祖母から私宛に手紙が来て、返信をし、次の手紙には82円の切手シートが入っていた。
また手紙を書いてほしい、、、そう物語っていた。
それから、毎月、お互いに同じような内容を書き、送り続けていた。
お互いに当たり障りのない話を手紙に書き、私は娘のことを、祖母は窓から見える風景、毎日の日課、毎月送るひ孫(私の娘)の写真の感想、たまに子供の時代の私の話などを手紙にしたためてくれた。
折り紙が好きだった祖母は、娘の誕生日には色んな折り紙の作品を贈ってくれた。先日の誕生日に新たに贈ってくれた作品を残し、以前のは処分してしまった。またどうせ増えるんだからと、大掃除がてら処分したのを、今は後悔している。
正月なのに、どこにも連れていけなかったので(気分的にもそんな気になれず)、今日は娘の大好きな場所へ行ってきた。
その道中に、年配の方向けの洋品店があるのだが、ここに来るたび、祖母に合いそうな服はなかろうかと探していたことを思い出す。
年配の方向けの百貨店イベントで、祖母好みの品はないかと、探すことももうないんだ。
花キューピットで、祖母が喜ぶ花を送ることも、もうない。
私の誕生日を、祝ってくれることも、もうない。
月末になると、手紙を書くことも、もうしないんだ。
毎月の手紙に必ず一枚娘の写真を送っていたが、もう今月の会心の一枚を撮らなければなぁと思わなくていいんだ、と思ったら悲しくなった。
箱根湯本の商店街の端に、祖母と二人旅で訪れた洋品店での思い出も、更新されることはない。
祖父が亡くなってから、不器用で寂しがり屋で、誤解されがちな祖母を心配していた。
心配した未来より、現実はもっとダークになったが、どうしようもない現実や理解されない不安からさらに頑固になったことよりも、小さい時から可愛がってもらい大切にされた記憶がいつも上回っていた。
どんなに周りが言おうとも、私の大好きな大好きなおばあちゃんであることは、一ミリも揺らがなかった。
シワだらけだけど、じんわり温かい掌、優しい笑顔、美味しいご飯、○ちゃん○ちゃんと私を呼ぶ声、本当に大好きだった。
泣いたのは、母と私と弟と、少しの友人だけだったかもしれない。
でも、おばあちゃんのことを本当に 大切に思い、感謝している人たちだったよ。
亡くなってからしか会えない面々だったけど、おばあちゃんには届いているかな。
元日だったけど、元日だったから皆揃っておばあちゃんの元にたどり着けた。
最期、間に合わなかったけど、間に合ったと思う。
元日で良かった。
甘えん坊な人だから、毎年忘れずに思い出してあげられる。良かった。
何でこんなに悲しいのかな。
祖父の時には思わなかった後悔が、先に立つ。
もっと、もっと、なにか出来たんじゃないだろうか。
大好きだと、ちゃんと手紙に書けば良かった。
生きてる時に、ありがとうともっと伝えれば良かった。
息を引き取る時、寂しくなかったかな。
おじいちゃんが、迎えに来てくれたかな。
来てくれたんだと、いいな。
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